大江健三郎「恢復する家族」

恢復する家族
私のこどもに障害があるかもしれない。
自閉症かもしれない。
そう思ってから 医師の診断をうけよう と決意するまでに
かなり長い時間がかかった。

そしてよーやく診断をうける決心はついたものの
予約は2カ月も先。

それまでのあいだ 私はどうやって心の準備をしておこうかと
考えた。
自閉症関連の本を読んだりもしたけど だんだん恐くなって
途中でやめてしまった。

たとえどんな診断がついても しっかり受け止めてやっていく
心づもりができるような そんな本を求めていて
手にしたのが この本だった。(て 前置きなげーよ)

そしてその時期に読んで感じたこと
また 今 診断後にあらためて読んで感じたこと

当然かもしれないけど 全然違ってきている。

光さんの言葉には 何度もどきりとさせられたし

大江さんの文章で いちばん「ああ」と思ったのは

光と一緒のこのような人生を、僕らは若い時に思い描いたのではなかった。
しかも、これまでの生のなかで、僕と妻が出会った、最悪の困難といっていいものが、
それも乗り越えられていまは思い出のみがある というのではなく、
現にすぐにも新しくふくらみかねぬものとして、その筋みちは続いている、
それが、現在の自分らの生の緊張と喜びの主体をなしているのですらある。
こういう人生の出来事を、どういう仕方で、プラス・マイナスと評価することができるだろう。
それはただ、このようにある、ということができるだけだ、と思う。
良かった、幸運だった、といえるだろうか?
悪かった、不運だった、とはいえない(あるいは、決して、そういうつもりはない)
ということは確か。
しかし、単純に前者だとも、決して定めることはできない、という思いはやはりあるのである。
なにしろ困難は継続中なのだ。

て エライ長い引用だけれども。(だって全部大事な文章だから)
この 何言ってんだおい というよーな ビミョーな感情。
今の私には 少しは理解できる気がする。

そして一番強く思ったことは
私は ゆかりさんのような母になりたい ということだ。
そして私の息子にも 光さんにとっての音楽 のようなものを見つけてあげたい。